個展でも
大きく展示している
大切な随想があります
それは
亡くなってしまったある友達を想って綴ったもの
闘病の末亡くなった人
それはあまりにも突然で
悲しみに暮れていた日々に追い打ちをかけるように
その知らせは降り掛かってきた
どれほどの時間が経過していたのかはもう分からない
とてもシンプルで簡潔なものだったのに
何回も 何回も
その短い文章を読んで
あたしは理解するのに
とても時間がかかった
ようやく理解した脳は
もう一生あの人に逢えないと認識を変換し
これまたシンプルでどうしようもない答えが
最終結論として下された
あの人は死んだ
涙は枯れていたはずなのに
その下された結論の果て亡き拷問が
瞬く間に支配して
セントラルヒーティングで居心地が悪い程温かく
湿気をふんだんに含んだ
あの部屋で
薄い壁を隔てた隣の部屋のルームメイトの事も気にせず
声を上げて泣いた
来る日も来る日も
ほとんど外にも出ないで
泣いて
疲れて
寝て
を繰り返した
唯一
悲しみを忘れさせてくれるのが
映画だった
2時間程の時間は
その頃のあたしには
とても有り難い時間で
その話にのめり込んで
眠りにつくことができた
眠れない時は
2本でも3本でも
映画を見続けた
それから
何故かよく
あの人に逢いたくなった
どの国に行っても
想い出しては
逢いたくなった
あの人は
ソウルが大好きで
あたしが聴くソウルの趣味と
とてもよく似ていた
流れる音楽に身を任して
お互い同じ好きな曲に反応したりした
あの人は
あたしよりも
もっとソウルの深いところを知っていた
今でも
あたしの大好きな曲
the manhattans の shining starを聴くと
必ずあの人の事を想い出す
そういえば
一度だけロンドンからあの人に
手紙を書いた事がある
その時も もう仕事も辞めて
家で治療に励んでいるという話を聞いて
あたしは
あたしのあの人に対する気持ちを
ぎっしり書き綴った
”またあたしが日本に帰ってきたらみんなで呑もうね
絶対 絶対呑もうね”
あの人は果たして
読んでくれたのだろうか
死と隣り合わせに怯えて
苦しむ毎日に
少しの光を差し込む事ができたのだろうか
何気に
昔の写真を見ていたら
一緒に遊んでた写真達がでてきた
ふと
まだいるんじゃないかって
今も元気にお酒呑んでんじゃないかって
変な感覚に陥った
写真って怖い
あの人は
もういないのに
あたしは
あの人の最期を見ていないから
何も実感が湧かなくて
さよならも言えていないから
あの時の笑顔のまま
そのままあの人との世界が止まって
蠢いている
漂い
彷徨う
色の名も分からぬ
色彩の薄いそれらは
掴む事のできない
あの人のように思えて仕方がない
あの人は
自らの死をもって
沢山の大きくて丸くて
甘い匂いが立ちこめる
それらに変えて
あたしに大切なものを教えてくれたように思う
DEDICATED YOU WITH BIG LOVE
FOREVER
MINAel
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